ホーム > お知らせ・ブログ > 20世紀梨の発見と松戸覚之助

20世紀梨の発見と松戸覚之助

2023.6.28

二十世紀梨(廿世紀梨)は、明治21年千葉県東葛飾郡八柱村(現松戸市)で松戸覚之助(1875~1934年)によって発見された偶発実生である。当時13歳の覚之助少年は、春のある日、分家の石井佐平宅に立ち寄った帰り道、ふと塵捨て場に実生の小さい梨の樹があるのに目をとめた。

 

それが今まで見たものとはどこかちがった品種のような気がしたので、佐平に話してこの樹をもらい受け、八柱村大字大橋字北大塚の父が経営する果樹園(錦果園)内にそれを植えた。植えつけた当時、この樹はすでに数年生のものであった。

 

その後、この梨の樹は「黒斑病」に弱く、樹は思ったよりも育ちが悪かった。管理に苦労はつきまとったが断念することなく、この樹はきっと美しい実を結ぶにちがいないと信じ、なおも手入れを続けた。その甲斐があって植えつけてから10年を経過した明治31年9月上旬になって、初めて成熟した果実を手にすることができた。その果実は上品な甘さと、したたるほどの水気をもっている。

 

 

 

従来の品種より優れていることに喜んだ松戸覚之助は、さっそく東京帝国大学をはじめ、そのほかの専門家に送って批判を乞うた結果、その梨は品質、外観ともに優秀であることが認められ、とくに、当時の園芸愛好家であった大隅重信侯爵、本草学者で明治の果樹園芸会の恩人である田中芳男男爵らに寄贈して、絶大な賛辞がよせられた。

 

しかし、この梨にはまだ特別な品種名がなかった。そこで、そのころ青梨の優良品種であった「太白」にあやかって「新太白」と呼ばれていた。

 

その後しばらくして、本種に対して将来性を賞賛し愛好した種苗商、東京興農園主渡瀬寅次郎農学士は東京帝国大学農科大学助教授池田伴親に相談のうえ、「この先、右に出るような品種もなく、20世紀時代を背負って立つに違いない」との思いから明治37年に「二十世紀梨」と命名された。

 

二十世紀梨(廿世紀梨)の商品一覧をみてみる。

 

奈良吉野・大阿太高原 百華園

〒638-0831 奈良県吉野郡大淀町佐名伝1101-2
TEL:0747-52-3745
FAX:0747-52-7456

お問合せはこちらまで