梨のルーツのお話
2023.6.28
梨のルーツである山梨(ヤマナシ)は、バラ科ナシ属の落葉高木である。本州から九州にかけて分布していて、山地帯のやや湿った所に生えている。
海外では、朝鮮半島、中国にも分布する。日本のヤマナシは、本州、四国、九州の人家に近い山地に多く見られることから古い時代に中国から渡来したという説がありますが、私の住む奈良県の大阿太高原の近くに桜で有名な吉野山があります。この吉野山に役行者が開いたといわれる金峯山寺があります。
少しここで金峯山寺の説明をいたします。
※金峯山寺のホームページより抜粋させていただきました
(大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの世界文化遺産に登録されました。金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。
金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、伝えています。その後、平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年(1592)頃に完成したものです。大正5年から13年にかけて、解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。)
この本堂の柱に、千年といわれる梨の木が柱として使われています。この木は吉野の山々から切り出されたようですが、その詳細は定かではありません。梨の木は大きくならないと思っておられる方が多いようですが、自由に伸ばしてやると10~20mもの木になります。私の農園の敷地内に、樹齢が100年を過ぎたと思われるヤマナシの木があります。毎年4月上旬には花を咲かせてくれます。廿世紀梨の梨の花よりかは2週間くらいは早いでしょうか。大阿太高原ですが、奈良県吉野郡大淀町佐名伝、薬水の住所で大淀町の町花は梨の花です。平成29年度の大淀町3月議会において、植樹は町の花である梨の花を植えましょうという条例が制定されました。これは梨農家にとって喜ばしい限りです。
奈良吉野・大阿太高原 百華園
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