大阿太高原について
2023.6.28
薬水と佐名伝の両大字領にまたがる洪積層の台地は、本町のみならず本県としても珍しい平坦な台地を形成しています。地形上五条市に属する「阿太峯台地」の東部を占めるもので、佐名伝峯、薬水峯の名称でも呼ばれます。明治十年頃から開墾が始まり、桃が大半でした。今でも、関電の電柱にはモモヤマ46とか書かれてあるのはその名残でしょうか。日露戦争の戦勝とりわけ旅順の陥落を記念して「凱歌」(かちどき)の名称で登録し、「廿世紀」あるいは「勝利」という名称で市場に送り出しその当時、「勝利ならずば梨にあらず」と言われる程で風味絶佳、世の賞賛をあび、この品種は各地で栽培をみるようになりました。
鳥取「廿世紀梨」もここから移植されたと言います。 この頃、勝利梨の出荷組合を組織し、東京・横浜方面から、遠くは台湾方面にまで出荷していました。今と違ってそのころは、鉄道便であり、近鉄の南大坂線「大阿太駅」からの発送でした。五条市の行政管轄であった大阿太村佐名伝ではありましたが、後に大淀町に移されます。駅名もそのまま残されて、近鉄がこの地区の梨園の観光開発にのりだすにつけて、駅名のままにこの高原を大阿太高原と名付けたのがこの高原名の由来です。
奈良吉野・大阿太高原 百華園
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