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梨の歴史について

2023.6.28

日本での梨の歴史をみてみましょう。今から1300年くらいに書かれた『日本書記』に、桑・栗などど共に梨の栽培が奨励されたと書かれています。奈良時代に始まる貴族の時代では、梨は花を愛でると同じに儀式の際にも重要でした。

 

『万葉集』に、

「梨、棗、黍に栗嗣ぎ、延ふ田葛の後も逢うはむと葵花咲く」(巻16)

という歌があります。

 

また、平安時代の歴史書の『三代実録』には、桜と桃と一緒に梨の花が開いたとあります。儀式の為の梨では、同じく平安時代の『延喜式』に神様に供えるものとして梨があげられており、信濃国(長野県)や因幡国(鳥取県)から梨が献上されたともかかれています。他に1060年ぐらい前に編された『和名類聚鈔』にも梨がのっています。

 

 

鎌倉時代の有名な歌人である藤原定家の著した『明月記』によると、旧暦の三月頃梨の花が開き、九月頃に梨の実がなり、更に土産ものとして梨をもっていったなども書かれています。 室町・戦国・安土桃山時代の『多聞院日記』には、みやげもので持っていったこと、あるいは、アリノミ(梨の別称)のつぎ木を春とした等、様々な記事がみえます。また、あまなし、いはなし」というように梨の種類があげられています。江戸時代の梨は、食べ物として様々な文献に書かれます。例えば、元禄十年(1697年)刊行の『本朝食艦』では、調理法はどのようなものなのか、どこの名産か、と現代のグルメ本のはしりと言えましょう。江戸時代後期~明治時代には、各地での生産技術の発達に伴って、梨を含めた果樹栽培法について述べた書物が多く書かれています。

 

幕府は、享保・元文(1735年前後)に全国各地から産物帳を提出させ、これによると梨の名称だけで、百余種判明します。大蔵永常の『広益国産考』、佐藤信渊の『草木六部耕種法』は江戸時代、藤井徹の『草木栽培法』、小田鬼八の『実験梨樹栽培全書』、『日本地誌略物産弁』は明治時代のものです。 これらは、江戸時代や明治政府が自国に利益をもたらすために栽培を勧め、その結果生まれた指導書でした。

 

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