梨のルーツのお話
2017.3.24|梨の小話
梨のルーツである山梨(ヤマナシ)は、バラ科ナシ属の
落葉高木である。本州から九州にかけて分布していて
、山地帯のやや湿った所に生えている。
海外では、朝鮮半島、中国にも分布する。
日本のヤマナシは、本州、四国、九州の人家に近い山地に
多く見られることから古い時代に中国から渡来したという
説がありますが、私の住む奈良県の大阿太高原の近くに桜で
有名な吉野山があります。この吉野山に役行者が開いたといわれる
金峯山寺があります。
少しここで金峯山寺の説明をいたします。
(大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山
(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。
この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、
修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。
この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山
(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と
伝えられています。 明治7年(1874年)、明治政府により
修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、
同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)
には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、
その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山
という意味を号しています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」
の一つとして金峯山寺本堂蔵王堂及び仁王門がユネスコの
世界文化遺産に登録されました。
金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、
多くの尊像を安置しています。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。
堂々とした威容の中に、優雅さがあり、たいへん勝れた建築という
高い評価を得ています。
金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者(えんのぎょうじゃ)
が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、
行基菩薩が改修されたとも、伝えています。その後、
平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、現在の建物は天正20年
(1592)頃に完成したものです。大正5年から13年にかけて、
解体修理が行なわれ、昭和55年から59年にかけて、
屋根の桧皮の葺き替えを主として大修理を行ないました。)
(金峯山寺のホームページより抜粋させていただきました)
この本堂の柱に、千年といわれる梨の木が柱として使われています。
この木は吉野の山々から切り出されたようですが、その詳細は
定かではありません。
梨の木は大きくならないと思っておられる方が多いようですが
、自由に伸ばしてやると10~20mもの木になります。
私の農園の敷地内に、樹齢が100年を過ぎたと思われる
ヤマナシの木があります。
毎年4月上旬には花を咲かせてくれます。廿世紀梨の梨の
花よりかは2週間くらいは早いでしょうか。
大阿太高原ですが、奈良県吉野郡大淀町佐名伝、薬水の住所で
大淀町の町花は梨の花です。平成29年度の大淀町3月議会に
おいて、植樹は町の花である梨の花を植えましょうという
条例が制定されました。これは梨農家にとって喜ばしい
限りです。